top of page

ピックアップ

pageline.png

[第3回]おめでたい「椿」と、じっとりした「数馬」、謎の「高造路」

  • 1 日前
  • 読了時間: 3分


地名から飯豊町のまほろばを旅するWEBコラム、第3回目です!


村田三郎様の素晴らしい語源資料をもとに進めてきたこのコラムですが、今回は地名に込められた「人々の祈り」や「土地の個性」、そして飯豊町が誇る歴史研究の歩みについてもご紹介します。



<長寿の霊木をシンボルにした「椿(つばき)」>

飯豊町の「椿」地区。この美しい地名は、文字通り植物のツバキから来ていますが、単にたくさん生えていたからではありません。


古来、椿は「長寿を保つ霊木(おめでたい木)」とされていました。その椿を、地域の繁栄と人々の健康長寿を願うシンボルとして掲げた、大変おめでたい「瑞祥(ずいしょう)地名」なのです。



<土地の姿をありのままに語る「数馬(かずま)」>

一方で、中津川地区にある「数馬(かずま)」は、少しユニークな現実派の地名です。村田様の資料によると、古くは「かつま」という呼び名に、後から「数馬」という漢字が当てられたとされています。


この「かつま」とは、川端や沼沢などがある「卑湿地(じめじめしている土地)」を指す言葉なのだそうです。一見、マイナスなイメージに聞こえるかもしれませんが、先人たちはあえて土地の特徴をそのまま地名にすることで、「ここは水が集まりやすい場所だから気をつけよう」と、暮らしの安全を守る知恵として共有していたのかもしれません。



<究極のミステリー!「高造路(たかぞうろ)」>

そして、中津川地区には、地名研究家の村田様をもってしても「難解語。仔細不詳」と記された、ミステリアスな地名があります。それが、「高造路(たかぞうろ)」です。


いったい、どのような人々がどんな思いを込めてこの響きを生み出したのか……


調べ尽くされた資料の中に、ぽつんと残された「空白」こそ、旅人の想像力をかき立てるロマンそのものですね。



【歴史の足跡をたどる:髙橋拓氏の研究と飯豊遺産】

ここで少し、飯豊町の歴史にさらに深みを与えてくれる素晴らしい研究についてご紹介します。


飯豊町の地名やその土地に暮らした人々の歴史を語る上で、山形県南陽市の歴史研究者である、地域文化資源活用工房代表の髙橋拓氏の文献(『飯豊史話』など)は外すことができません。



高橋氏は、例えば黒沢地区に眠る江戸時代後期〜幕末の偉大な先人である医師・渡邊吉郎(日本で初めて全身麻酔を行った名医・華岡青洲の直弟子)の足跡を古文書から精緻に解き明かされています。


また、黒沢の豪農・渡邊六郎兵衛家の風格ある「長屋門(置き屋根工法)」の建築調査や、萩生区に眠る中世の城址、古文書の悉皆調査など、飯豊町の「文化財」としての高い価値を学術的に証明されてきました。



村田様が紐解いてくださった「地名」という入り口から、高橋氏が明かす「歴史と人々の物語」へ。飯豊町には、語り尽くせないほどの豊かな物語が眠っています。


皆様も飯豊町を訪れた際は、ぜひ看板や地名に目を留め、先人たちのささやきに耳を澄ませてみてくださいね。

(※地名の語源や由来には諸説あります)


次回以降は高橋氏の文献によるコラムをお届けします。

 
 
 

コメント


bottom of page